窮鼠猫を噛む
なぜ男女平等なのにデート代男持ち 男の責任に揺れる若者たち
福井新聞ONLINE 10月13日(土)8時56分配信
■世代間のギャップを一考、連載企画「若者のミカタ 福井『今どき』考」(6)■
→まずこの『ミカタ』の部分をあえて片仮名にして、『味方』と『見方』両方の解釈が成り立つ無駄な工夫がイラッとする。
曖昧にする意味が分からない。
読んで確かめさせたいのか。
そういう工夫をすること自体、内容に自信が無い印象しか覚えない。
9月末、若者の教育プログラム策定に向けて開かれた福井県教委の検討会。
70歳を間近に控えた県内の企業経営者から厳しい声が飛んだ。
「最近の若い男性は競争心がない。決断力も女性社員の方が上だ。このままではアジア諸国との競争に負けてしまう」。
一代で海外展開する企業を築いた経営者の危機感は強かった。
「それは、競争心のある人を探して雇えば、としか…。採用の問題でしょ」と苦笑いで受け流すのは県内の公務員1年生、滝俊也さん(22)=仮名。
今風なショートレイヤーの前髪を気にしつつ伏し目がちに話す。
「自分は主夫になりたかった。社会で人間関係を築くの面倒だし、主婦は責任もなくて楽だなあと。女性は働きたければ働けばいいし、選択できてうらやましい」。
将来結婚して、妻から仕事を辞めるよう求められたら、応じるつもりだ。
今、インターネットの匿名掲示板には“女性のわがまま”を誇張し、揶揄(やゆ)する書き込みが並ぶ。
「女性につらい仕事を押しつけないこと。かといって雑用やらせるのもダメ。それで給与も昇進も平等にね」
「これからは働く妻を夫が支えなきゃ。あ、もちろん収入は夫が多くて当然だけど」
「男性差別だ」とのネットの声に、滝さんは「その通り」と感じる。
男女共同参画の揺り戻しにも見える風潮に、県立大の塚本利幸准教授(48)=社会学、社会調査=は「特に今の若い男性には、鬱屈(うっくつ)した思いがある」と指摘する。
「バブル崩壊後、企業は若者の新規採用を非正規労働者に置き換えた。
若者の雇用が不安定化する一方、男性が家計を支えるという『片働きモデル』は男女の意識に根強く残っている」。
社会システムが変化したのに、考え方が追いつかない「過渡期」の摩擦と見る。
厚生労働省の2004~07年の経年調査では、年間所得300万円未満の男女を比べた場合、女性は高所得女性とさほど変わらず結婚できている。
一方で男性は高所得男性に比べ、明らかに結婚できた割合が低い。
男女平等といいながら、男性は金がないと結婚もできない状況にある。
→この統計の意味は、男は所得、女は女らしさで結婚が決まるということであって、結局結婚できる人数の比率で言えば、ほぼ同じになるはずだ。
なぜなら女は男と結婚するのだから。
金なんか無くたって、相手の女性が金を持ってて、それでも相手の女性が望むなら結婚は成立する。
金があったって、相手の女性が望まなければ結婚は成立しない。
どちらにせよ確かにいえることは、結婚は金がかかるということ。
生涯を通じて働く時間は、平均してもまだ圧倒的に男の方が長いはず。
長い期間働く前提なら、ローンの返済だって見込みやすい。
それなら当然、大きな買い物もしやすい道理だ。
単に、結婚に際して『金なんか無くてもいい』と言えるのが、女より男の方が多いというだけのことではないのか。
大して話題性もない題材を、無理な解釈をこじつけてネタにしようという魂胆がミエミエ。
そもそも、男が結婚できない理由が金なら、女が結婚できない理由は?
何を考えて不平等なのか。
金は努力次第でいくらでも稼げるが、持って生まれたものは一生どうにもならない。
むしろ不幸は女の方だ。
「結婚の場面では、特に強く不平等が意識されやすい」と塚本准教授。
一方で塚本准教授は「福井県の若い男性は、都会に比べると不満が出にくいはず」と考えている。
保守的な性別役割意識がまだ根強いためだ。
女性の働く割合や、週の就業時間が40時間を超える割合が全国平均より高い福井県。
しかし、10年の県民意識調査では「男は仕事、女は家庭」という考えに賛成の割合が、男女双方で全国平均を上回った。
男性の家事参加も少なかった。
「家庭は同居の祖父母世代との相互扶助に支えられており、祖父母の保守的な考えが、父母の役割分担に影響もしている」というのが塚本准教授の見立てだ。
鯖江市のコーヒーショップで、金融機関に勤める岡田研人さん(24)=仮名=は「男性の責任」を受け入れつつ話してくれた。
「彼女とのデート代は自分が多く出すが、給料は同じなんだし、ほんとは割り勘が基本だろって思う。支店の草むしりも雪かきも、男性が早出してやっている。女性は普通の時間に出社。イラッとする」
→これもおかしい。
それは、やらなくてもいい事を、自主的にやってるだけなのではないか。
やりたくないなら、やらなければいい。
もちろん、やらないなりの相手を選ぶことにもなりかねないが、それでいいのなら。
付加価値で競争相手に差をつけようというのなら、それは必要な犠牲であって不満を言う筋合いではない。
結局、『相手は失いたくないが、かといって完全に公平でないことは不満だ』という、矛盾した願望に過ぎない。
隣に座っていた高校の同級生が「俺たち、義務教育の間に男女平等と“洗脳”されてきたから」とおどけると、岡田さんもうなずいた。
出席番号は小学校の途中から男女混合。
学校では男女平等を、社会と家庭では「男の責任」を求められる彼ら。
異なる価値観のはざまで揺れている。
~以上、斜体字部引用
→『男女平等』も『男の責任』も、結局は本人のさじ加減一つだ。
なにしろ『無い袖は振れない』のだから。
こんな判断にも迷うほど、今の若い男には決断力が欠けているのか。
<結論>
冒頭に、『最近の若い男性は~』という発言があった。
今も昔も若い男性はいたわけで、共通する点が『若さ』だとするなら、その相違点は何か。
そういう意味で競争心が無いと嘆くのだろうか。
では、競争心があれば結婚できるとでも言うのだろうか?
否。
現実は、結婚は、特に男は金が無ければできない。
このことは統計の結果が示す通りだ。
『若さ』を共通項とした今むかしの『若者』像。
今の若者が優れている点は、知識や思想の面で、かつてよりも格段に進歩していることと言える。
これは学問や情報ネットワークの進歩に伴っているとみて間違いないだろう。
しかし、同じ『若者』である以上、やはりかつてと同程度の『愚かさ』も持っていなければいけない理屈になる。
では今の『若者』の愚かさとは何だろう。
競争心ではないとすれば?
この文を見る限り、それは客観的なものの見方ばかりを偏重し、主観的な判断がつかない点にあると結論せざるを得ない。
もっと噛み砕いて言えば、自分の『ものさし』を持っていない。
自分の尺度が無いから、物の価値を損得勘定でしか見ることができない。
だから皆同じものを欲しがる。
そうして他人が欲しがる物を欲しがっては背伸びをし、のちに後悔する。
手に入らないものは欲しがらない。
自分が『良い』と思うものは、他の全ての人が悪いと言っても『良い』。
その双方において明確な考え方や尺度が備わっていれば、失う覚悟もまたできるはずだ。
最近の若い男性は、失う覚悟が無い。
失う覚悟がないから、試合に勝って勝負に負ける。
改正著作権法で違法になった「リッピング」とは?〈週刊朝日〉
インターネットで動画や音楽をダウンロードしただけで、2年以下の懲役や200万円以下の罰金を科される恐れがある改正著作権法が、10月1日に施行された。
どのような行為が罪に問われるのだろうか。著作権法に詳しい金井重彦弁護士が解説する。
「無償で放映されたテレビ番組や楽曲を録画・録音するだけなら大丈夫ですが、すでにCDやDVDとして販売されていたり、有料でインターネット配信されたりしている楽曲や映画、テレビドラマをダウンロードした場合は罰則の対象となります。動画などが、違法にアップロードされたものだと知っていたことに加え、被害を受けた側が被害を訴え出ることも条件となります」
今回の改正には、もう一つ大きな柱がある。「リッピング」と呼ばれる行為の違法化だ。
リッピングとは、DVDや一部のCDに付けられている「コピーガード」という複製を防ぐ機能を解除して、動画や楽曲のデジタルデータをパソコンに取り込む行為のことだ。
これまで著作権法では、個人的に楽しむ場合であればこうした行為は認められており、ネット上ではコピーガードを解除するための無償ソフトも提供されている。それが今回の改正では私的複製の範囲外とされ、罰則こそ科されないものの、違法な行為とされた。
なぜこうした行為まで規制されたのだろう。
「リッピングによってDVDなどから取り出されたデジタルデータは、動画サイトにアップロードする際にも使われます。違法アップロードにつながるリッピングを違法化することで、違法アップロードを防止することができるのです」
(文化庁著作権課)
現実の世界だけではなく、自由な空間とされたネットも、徐々に息苦しさを増しているようだ。
※週刊朝日 2012年10月19日号
~以上引用
○
改正著作権法の概要は以下の通り。
無償で放映されたTV番組や楽曲のDLは適法。
CDやDVDなどとして既に商品化された作品、インターネットなどで有料で配信された作品を、無償での供与を目的に無断でアップロードすることは違法。
これを、違法なアップロードと知りながらDLすることも違法。
これは親告罪である。
次に『リッピング』の違法化。
商品化された作品のデジタル・データの複製は、私的複製(個人的に楽しむ目的での複製)に限り適法とされてきた。
この複製行為を『リッピング』というが、今回の改正で違法とされた。
理由は、『リッピング』によって複製されたデータはインターネット上で容易にやりとりができ、複製者が意図的にデータの質を落とさない限り、何度複製してもデータが劣化しないため、違法なやりとりの温床になっている現状を改善するため。
○
著作権を保護するためには、こうした規制は効果があるし必要なものだ。
いまや『リッピング』は常識とも言えるほど浸透していて、新作の作品が発売から数日後には中古市場に大量に流れるといった現象も日常化している。
新作に限らず、情報商品の販売利益が不当に侵害されていることは、誰の目にも明らかだ。
合法的に行われる経済活動の権益を、保護してこその市場の繁栄だろう。
しかし、こういった規制によって、実際に違法行為の件数を抑えることができなければ、規制にも意味がない。
規制を設けたところで、消費者にとっては複製の方が購入よりも経済的だという事実は変わらないし、パソコン一台とソフトさえあればいつでも簡単に複製できることも事実だ。
こういった現実にあって、規制と監視を強化し、一部の著しい違反者を見せしめのように摘発するだけで、潜在的な違法複製を果たしてどれだけ抑制できるのか。
違法DLにしても、『違法性を知らなかった』と言われてしまえば罪に問うことはできなくなってしまう。
罪に問われるのは正直な一般市民のみで、しらを切り通せるような本当に規制が必要な人物は摘発できないのではないか。
そういう意味では、法の公平性に疑問がある。
実効性のある規制を設けようとするならば、著しい利益侵害への規制強化の一方で、利益侵害の少ない事実上の私的複製への規制緩和策が必要だ。
規制強化の一方でこれを行うことで、複製行為を『理想的な私的複製』へと誘導することが、結果的に業界や市場、ひいては消費者にとって最も損失の少ないやり方ではないのか。
有効と考えられる手立ての一つに、著作権期限の短縮がある。
現在、日本では著作者の持つ著作権は、製作から60年間保護されることになっている。
これは、輸入された作品に対して、著作者の権益を認めるべき期間が60年とされていることに習ったもので、欧米では一般的に50年とされている。
なぜ日本だけが60年なのかといえば、実はこれは、日本が先の大戦に敗北した『戦敗国』だからである。
私はこれを知って、法の公平性云々を思うより先に、この法の概念の古さというものを再認識せざるを得ない。
日本が戦争に負けたのは、今から遡ること70年近くになる。
この頃の人々は、今のように、一家に一台規模でパソコンが世界的に普及し、インターネットによってデータのみが簡単にやりとりされるような時代の到来を、これっぽっちでも予測していただろうか。
現実世界では、60年ではせいぜい2~3世代分だが、情報の世界では60年あれば世代は7~8世代は変わる。
これほどに時間の流れに差がある世界の物事を、現実世界、それも70年近くも昔の常識を前提にした法によって等しく規制することは、もはや限界に達しつつあるのではないか。
容易に複製できるということは、容易に製作できるということでもある。
だが、容易に製作できるとあっても、実際にはこうした旧態然とした法規制のために、新作の製作は困難を極める。
少なくとも、著作権法が保護する過去60年間に発表された作品に関して、内容が重複していてはいけないためだ。
結局、重複による権利侵害問題を解決する方法として、当事者同士での水面下の取引が慣例化し、この取引の秘密性故に、別の違法行為・犯罪行為の温床となっていることも問題として挙げられる。
こうして『水面下の取引』を経て発表される作品数は、いまや70年前の比ではない。
加速度的に増加する作品を、60年に渡って遡り、全ての重複をクリアして完全な新作を発表することなど、最早不可能である。
それを知らずに作品を制作し発表した者は、こうして例外なく水面下で行われる非道な取引の世界に巻き込まれていくこととなる。
一つの作品によって、著作者や製作者が、ほぼ半世紀にわたって権益を保護されることの利益より、その権益を半世紀にわたって著作者や製作者が独占することの弊害の方が、今や大きくなっていると感じる。
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