ttp://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20150619-00000167-jij-pol
安保関連法案は明白に許容範囲内 ─時事通信
この件に関してく俺もどくど書いてきて、いるかどうかはともかく、もしこのブログを読んでいる方が
いればとっくに目タコだと思いますが、書いてる方もいささかうんざり気味です。
しかし、「あれは違う、これも違う」と批判ばかりしていても、要は何が言いたいのかもう一つピンと
来ないと思うので、あえて補足させてもらいます。
話の要点は、「周辺事態」「個別自衛権」「集団的自衛権」という3つの用語が、本来は
一連の事象である「戦闘」というものを局面的に分割しているために、定義としての
線引きを難しくしているということに尽きます。
例えば、
①我が国の重要なライフラインである石油輸送ルート上の機雷などの軍事的脅威を、紛争継続中
には準戦闘行為とみなされる機雷掃海などの行動で解消する。
②他国をすでに発ち、明確に我が国に対して侵略の意図を持って向かってくる敵軍を公海上で
迎え撃とうとする同盟国軍を支援する。
③領海~排他的経済水域(EEZ)内で迎え撃とうとする同盟国軍を支援する。
④領海~EEZ内で、自ら迎え撃つ
という事案がある場合、①は自衛隊の運用原則を明らかに逸脱していて、④の場合は世論も
憲法の許容範囲内ということでおおむね認めるラインだということは誰でも分かるのですが、
ここで問題になるのは②~③の場合です。
これが昔であれば、公海上から我が国の排他的経済水域内まで到達するまで、また我が国の
国土を敵軍が射程圏に収めるまで、いくばくかのタイムラグがあったので、③と④の間を持って
一線とすることも可能でした。
これに対して現代の兵器は、艦船や航空機の高速化、ステルス兵器の増加、長距離ミサイルの
精度向上と、距離的時間的脅威が格段に高まっています。
こうした中で、敵軍の行動位置が「敵国EEZ内」「公海上」「自国EEZ内」と刻々変化していく中で、
対抗措置を上記二用語の定義に従って制限した場合、十分な対抗措置にとって障害になる
可能性が出てきました。
例えば、敵軍が弾道弾を発射せんとする事態の場合、これを破壊/迎撃できるチャンスは
①発射前
②発射~大気圏内を上昇中
③大気圏内に再突入後
の3段階になります。
目標到達までいかに時間がかかる距離であっても、破壊可能な時間的猶予は短いのです。
となれば、これを警戒監視/追尾するためのイージス艦や早期警戒機の活動可能な位置が
「自国領空・領海」「EEZやその上空内」などの基準で制約されれば、いかにそれが我が国に
対する現実的な脅威であると分かっていても、当然、監視/追尾任務に支障をきたす場合が
出てきます。
また、敵軍がステルス機を出撃させたことを同盟国軍の警告や監視衛星などで把握した
場合でも、ステルス機というものは、通常の航空機よりもレーダー反応を小さく抑えることが
可能なので、これを発見できる距離は従来機の場合の1/3ほどまで近づいてから、ということに
なります。
発見が遅れるほど対処が難しくなることは言うまでもありません。
つまり、いまや従来の個別自衛権の発動要件のままでは、個別自衛権の行使すら危ぶまれる
のが現実なのです。
今すべきなのは、「周辺事態」の定義の再検討と、「集団的自衛権」の一部行使や、武力
による対抗措置の現場裁量を含めたこれらへの対処について、検討をした上で解釈や
規定を現実に即した形に改める作業です。
しかし実情はというと、これを理由に自衛隊の活動域を拡大するとか、憲法解釈を根拠に反対
しようとかいう議論ばかりで、本当に必要な議論の妨げになっています。
与党の主張には、実際に我が国の現実的な安全保障に直結する、必要な部分が多々含まれて
います。
しかし一方で、これを質に取って軍事プレゼンスを必要以上に拡大しようとする部分も見受けられ、
野党の言い分も分からなくはありません。
有利な時に、全て抱き合わせて一遍に通してしまおうというような乱暴なやり方は、安保情勢に
直結する法規制を再検討する重大な作業には相応しくない気がします。
政府と与野党は、可能な限りの歩み寄りで挙国体制での検討をお願いしたいし、国民は、
「憲法」と「法律」の役割の違い、法治体制で目指さなければいけない理念と、その
実践の際の具体的な規定とをどう使い分けるべきなのか、もう一度まじめに考えてみて
欲しいです。
安全保障の問題を考える際に最優先されるべきは、もちろん、「喫緊の軍事的脅威
から、我が国をいかに守るか」という点です。
安全を守るために必要最低限の手段は、現実の脅威が増大したり縮小したりするに従って
変化するのが当然で、これを実践するための規制も現実に即したものでなければなりません。
しかし、「脅威が変質したからといって理念を曲げる」というのは本末転倒なのです。
もし理念を曲げるなら、それは、経済的根拠はむろんのこと、現実的脅威だとか法としての
実効性云々によってではなく、国民が総意として「我が国が目指すべき理念を更新すべき」と
決断した場合にのみ、行われるべきだと思います。
今なされるべき議論は、憲法論議ではないと思うのですがいかがでしょう。
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