http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20150116-00000122-san-soci
>「最初から陣頭指揮をとることはなく、自分が入るのは重大事案のときだと伝えたかったが、
被害者側にショックを与えてしまい、軽率だった」
問題は、「人が死なないと校長はノータッチなのか」という点だ。
校長は決してヒマをもてあましているわけではない。
色々ある業務に追われながら、突発的な問題にも臨機応変に対処しなければならない。
とするなら、「校長が全てのいじめ問題で陣頭指揮を執ることはない」という点よりも、まず
「学校運営の面で、いじめ問題が起きにくい体制作りに尽力することが
校長としての責任である」
点を説明した上で、個別の問題について、校長自身は関与しないという誤解を招いた点で
詫びる必要がある。
しかし、もしそれが誤解でなかったのであれば、これは猛省すべきだ。
遅かれ早かれ、問題の経緯を保護者に説明する段では、
校長が陣頭に立つ必要があるのではないか。
いじめの問題は、被害児童・生徒が隠し切れなくなる、つまり、ある程度深刻化しないと
表面化することはない。
いじめ問題が表面化した上で「人が死んだり怪我をしたりが無いから」といって、
その程度が軽いということにはならないのだ。
この点で、いじめ被害にあったり直面した経験の無い人は、どうも感覚がズレている気がする。
いじめ問題は、発生した時点で既に「大ごと」なのだという認識を強く持って欲しい。
>「いじめ問題では被害児童・生徒や保護者のケアを最優先にするように」
これはつまり、「被害児童・生徒や保護者への、言ってみれば「手当て」「支援」が最優先である」、
という意味にしか見えない。
しかし本来、最優先されるべきは「いじめ」状況の解消・解決・防止である。
加害側への対処を差し置いて被害側の手当てをするというのは、
いわば病巣を放置して応急処置を続けるようなものである。
いじめとは、罵声を浴びせたり暴力を振るう行為に限定されない。
恣意的に立場を悪化させ、社会的に追い詰めていくような手段も
「いじめ」の定義を十分に満たしていると言える。
逆に、中~長期的に見て受け手の生徒に結果的に利益となるような圧力は、
一面的に暴力的と見えても、別の側面からは試練であり教育という解釈もでき
単純に「いじめ」と定義することは難しい。
こうした、表面から本質までを含めた包括的な見極めが、実は最も重要だ。
しかるに、一部報道では、こうした部分に明確な主義信条を持たず、
いたずらに学校側を批判する無責任な態度が見て取れることが極めて残念だ。
つうか、ほんとはいじめ問題で校長を責めてるんじゃなくて
自分たちが暴力を背景にやりたい放題やった上に、
それを都合よく「いじめ問題」になぞらえて
被害者を守る立場の人間に責任をひっかぶせて追い討ちをかけてるだけ。
落ちるとこまで落ちると、人間抑えが効かなくなるという実例。
いつの時代も、善人がいる分だけクズもいるということだな。
「幸せ」=「得をすること」という昆虫レベルの知能。
本気で幸せだったら、「幸せか?」と訊かれて「ああ、幸せだね」なんて言わない。