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加会社×被会社

窮鼠猫を噛む

無題





この世界での人生は、それまでの人生を全否定されるに等しい無認識のルールを一方的に適用されるステップから始まる。

5年目や10年目程度の奴なら、無効化されるにしてもたかが知れている。しかし、一番初期のアウトなネタにその後すべてのネタを積み上げてきた俺にとってはまさに全否定。

なぜルールがフォローしない例外的なケースだと素直に認めることができなかったのか。

結局は利害、損得勘定の果てと言わざるを得ない。
道義的責任を社会的責任にすり替える正当化行為だった。

初期の頃は「何も知らないお前に何が分かる」と言って批判を封じられたが、その都度「おそらく知った後でも見解は変わらない」と主張してきた。

ある程度分かってきた今でも、変わる気配がないどころか一層自身の見解の正しさを日々再認識している。



なぜ、ルールの「定義」の解釈には厳密さが求められるのか。
それは、定義が定める一線は「アウト」の規定というだけでなく境界線、つまり「セーフ」の規定でもあるため。

実質的な結果まで踏まえれば、厳密に解釈して運用で融通するのと解釈で融通して厳格に運用するのでは大きな違いがある。なぜなら、運用での融通は個々の裁量だが、解釈は客観性に基づくためだ。

運用で融通する分には、解釈自体は変わらないのでルールへの影響は最小限で済む。しかし解釈の方で融通してしまえば、それは「前例」となるので以後のルールの解釈に絶大な影響を及ぼすことになり「個々の裁量」では済まなくなる。

ルールは理性的に解釈し、融通は運用の方でやらなければならない。



許す許さないの問題じゃないですよ。俺が許したって結果は覆らない。

失敗の原因を言って反省を促してるんです。















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