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つまりね。
「主観と客観的」なら分かるんだよ。
主観は人それぞれなんだから、社会で共有すべき情報は努めて客観的・定量的でないと混乱をきたすから。
でもこれを「主観と客観」と言ってしまうから、「客観=自我は到達不能=回答不能」ということになってしまう。
言葉を定義の通りに解釈すると、「客観の答」とは「出せない答」ということになる。
だから、「それは主観でしょ」と反論されても「いや、『客観的』も主観でしょ」としか答えようがない。
元々「主観か客観か」という問題ではなく、「客観的」とするに十分なだけの根拠があるかどうかの問題なわけ。
それと、これはついでなんだけど。
いちいちコメントの前に「個人的には」って書く必要ある?
だって主観も客観的も突き詰めれば主観なんだから、根拠として客観的事実が示されてない限り全ての発言はそもそも主観的なわけでしょ?
俺、他人の発言って鵜呑みにするもんじゃなく、自分で検証してから使うもんだと思うんだよね。
だって、誰に何と言われようが、それを選択すると判断するのは自分なんだからその責任はあるでしょ。いい加減なこと言われて「お前本当に適当だよな」と苦言を呈することはあっても、責任まで押し付けることはできない。
ただ、例えば地球の裏側で起きたことをメディアが報じる場合とか、そういうのは個人では検証のしようがないから責任はあると思うけど。一方で、例えば「疲れやすい時は~を採るといいらしいよ」くらいの話は自分で検証できるんだから、そんなのいちいちコンプラだのガイドラインだのうるさく言わんでいいでしょ。
検証サボって失敗するなんて怠慢すぎると思うけど。
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