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加会社×被会社

窮鼠猫を噛む

無題





ひと言で説明するのは難しいんだけど、実証主義って基本的に「立証されてない理屈は嘘」って立場だよね。

でも、俺なんかに言わせると、実証主義で立証するためのプロセスってのは、自分が確信するだけじゃなく第三者を認めざるを得ないとこまで「追い詰める」作業なのね。いわば「究極のマウント」が実証主義なの。

で、実証主義の相互監視の要素は全体としての質を担保し権威主義(※)を維持するために必要なものなんだけど、それはそれで軋轢になるし社会的なストレスも生むから、俺個人としては必要最小限にしたいわけ。

簡単に言えば、みんなで久々に会食するっていう席で、論文AとBそれぞれの魅力を力説されたら嫌でしょ?もちろん専門家だってTPO弁えてるとは思うけど、やっぱりある程度の素養がつくと、茶の間のノリとはどうしても合わなくなるのよ。



それに、これ、俺としては重要な示唆なんだけど。

ある程度の知識を詰め込むと、それが論理的な考えによる結論なのか、それとも着眼→論理→結論と丸ごとセットの知識をそのまま取り出しただけなのか、自分でも区別がつかなくなるんじゃないかな。

俺がしばしば「科学的な考え方」って言い方するのは、要は、自分でデータを集めて分析した上で仮説を立て、さらにそれを検証を重ねて実証するっていう一連のプロセスを

自力でやってるか

ってことなんだよ。
俺は、それを全て自分でやった理論こそが「独自性」で、オーソリティが認められる条件だと思う。

どんなに勉強してても、他人が研究して書いた論文だったり理論だったりをいいとこ取りでかき集めて出した結論は、どんなに精緻で高度だったとしても、基本的には借り物であってその人のオーソリティではないと思ってるの。

だから俺は、いろんな理論を借用することはあっても、肝心な部分は自分理論を使う。
それがなかったら、自分の作品だなんておこがましくてとても言えない。

俺は、自分で出した答えと、答えを覚えただけの知識の区別はつくよ。だって、答えを見ずに問題解いて、自分で答え合わせをしてるんだもん。




(※)
権威主義はどっちかというと悪い意味で使われることが多い言葉だと思うけど、俺は、「国境線」なんかと同じ理屈だと思うのね。

例えば、ゴロツキの集団なんかでは、言い分がかち合うとすぐケンカになって「白黒つけようや」ってことになるでしょ。でも、共通の基準で予めそれぞれの格付けが決まってれば、いちいちケンカなんかせんでも優先順位が一目瞭然。それを守ることで折り合えば、互いにケンカの負担を省くことができる。

その方がずっと効率的で文明的だよ。わざわざ「承認欲求」なんて言葉作らんでも、単にそれだけのこと。

















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