例の事件のことで一つ思ったのですが。
犯人(容疑者)が自らほのめかしているような「使命感」が動機なら、捕まって移送される車内で
カメラに向かって気味の悪い笑顔を見せるのはおかしいと思います。
たぶんですけど、何か他に動機(もしくはストレスなどが原因の錯誤)があって、本人が書いた
内容はただの口実ということが考えられます。
要するに、弱者に不満をぶつけることさえ正当化できれば、内容は何でもよかったのでは
ないでしょうか。
言われたことに意趣返ししたい、その程度の動機で40人あまりを殺傷するとか、もうその
発想そのものが腐ってます。
これも「多様性」ですか?
俺は納得しません。
まじめに取り組む者が、いったいどれほどの時と労力とを割いて、どれだけささやかな価値を
生み出すと思ってるんでしょうか。
壊す奴は、たった1時間足らずです。
「命に(価値の)差はない」
本当にそうでしょうか。
生み出す奴と壊す奴、同じに扱っていたら人類はとっくに滅んでいる理屈です。
まぁ、犯人は精神鑑定でクロ、死刑にすることはできないと思いますが、こういう奴は社会から
排斥し、生涯隔離すべきです。
時代が時代なら、即、処分されていてもおかしくありません。
そもそも、ある程度分かってて、それでも対処できないなんて、人類自体、もはや寿命に近づき
つつあるのでしょうか。
「症状が消えたから」
それが退院した理由だそうですが、精神の病というものは、脳を直接解析して定義できない
以上、普通の病気や身体的障害と同等に扱うべきでありません。
危険な心理を持つ者が、健常者を装うことなど造作もないことなのです。
結果論かもしれませんが、軽率だと思います。
ただ「症状が消えた」では「治ったかどうか」は判りません。
一度陥った錯誤を改めさせるには、別の動機や目的を与え、本人の生きる目的が切り替わった
ことを確かめる必要があります。
治ったかどうかは外見や行動では分かりませんが、別の目的を持ったかどうかは
観察すれば何となく分かるでしょう?
それさえ装うことは可能ですが、確率はかなり下がると思います。
犯人が何を考えていたのか判然としませんが、少なくとも、命の重みに差があるということは
犯人の思惑とは違う形ではっきりしたと思います。
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