窮鼠猫を噛む
○SETIのような、ある二つの研究グループ(以降それぞれAグループ・Bグループ)がメイン
○双方とも宇宙から届く人工的な電波を探索している
○バカバカしいと、科学的なアプローチとしては扱いが低い。特に、星系内の探査や小惑星探査など、実利に結びつきそうな研究に関わる主力グループから軽視され圧力を受ける一方、あまり専門的ではない民間グループからのか細い投資で双方苦しい切り盛り。互いに志を同じくする研究グループを、協力体制を築こうと探しているが、コンタクトがつかない。
○実は主力グループが妨害している。→無駄なことに研究設備を使わせない
○遅々として進まない探査だったが、どうにか星系外縁に交信中継のための探査機を送るところまでこぎつける
○その間、世の中はこの研究にはほとんど無関心
○ところが、その探査機が地球外文明の痕跡と思われる電波をキャッチ
○大騒ぎになる。懸命に証拠だと主張するグループに対し、否定しようと躍起になる主力グループ
○AB二つのグループがそれぞれ同じような図式での対立で苦心するが、そうこうしているうちに、探査機がとうとう決定的な証拠を掴む
○顔色が変わる主力グループ、事態はただちに国家規模の極秘プロジェクトとなる
○漠然とした空想にすぎなかった「地球外文明」が、いざ現実ともなると、国側の主要人物はこぞって慎重論を打ち出す。得体の知れない存在に対する警戒心、取り返しのつかないリスクは回避すべき。こちらの存在が知れないよう、受信に専念し、探査に規制を設ける方針。
○だが納得がいかない研究グループ。たとえ争いになったとしても、彼方の文明と自分たちお互いが歩み寄って、最終的には協力体制を築く、その礎とすべき。
○結局国の理解は得られないが、それでも独力でコンタクトを試みる研究グループに対し、国は圧力
<この辺り、AB二つのグループで同じような展開となり、双方の展開を交えながら物語は進む>
○国の強力な圧力に対し、何とか協力者を得られないかと模索する研究グループ。
○そんな彼らに救いの手を差し伸べたのは、意外にもあの主力グループの科学者だった。「事実は事実」
○国の強力な圧力にも屈さず、数々の妨害を潜り抜け、ついにこちらからのメッセージ発信にとこぎつける。もっとも、返信があるとすれば何百年も先の話。遥かな未来に思いを託す研究グループ(A)。
○誰もいない研究室、CPUが自動的に何かの信号をキャッチ。そこに誰かが現れる。それは、冒頭から登場していた研究グループ(B)の研究者。彼は興奮して口走る「我々は孤独ではなかった!」
注)「Bグループは、受信側の宇宙人だった」というオチです。同時に起こっているように見せかけるところがミソ。「双方同じようなことを考え、同じようなことに頭を悩ませていたら面白いかな」というだけの小ネタです。未来の話ですが、今より飛躍的に設備が進歩してる必要ないと思います。むしろ今でもありそうな感じで、進歩といえば、若干探査機などとの通信が早くなってるくらいでいいでしょう。
それは、今の世の中の趨勢を握る管理職層の中に、若い世代との対決を避けたがる恐怖・忌避感が存在するから。
それはいつの時代も存在してて、しかし今の世の中では何を「軸」に若い世代と対立しているのかが曖昧ではっきりしないという側面があった。
でもこれではっきりした。
「理由が無い」ということ。
二~三十年前なら、「若い世代が将来幸せになる」=「前の世代を支える」だった。
一致結束していた。
しかし、今は前までの世代が残したツケばかりが大きくて、それを払っても若い世代が幸せになれる訳ではない。
それを前までの世代は必死に隠そうとし、また誤魔化しているが、若い世代はうすうすその欺瞞に気づいている。
懐疑的な訳だ。
正直、前の世代が残したツケを払うことは、今の世代にプラスにはならない。
かといって、過去の世代に相応の報いを与えれば、今の世代も無傷では済まされないから、結局それもできない。
そういう無力感が、今の世代には蔓延している。
結局、大きな動機と大きな抵抗感が相殺しあって、それらを除いた小さな動機で唐突に具体的な行動を起こす傾向が強まっている。
そんなとこではないでしょうか。
10年以上過去に俺に関わった人たちは、管理職側の人達ばかり。
意義など考えずに協力者になってしまった人達。
それ以降に関わった人たちは、たぶん少なからず俺の考え方を理解してくれていた人達。
松下 忠洋(まつした ただひろ、1939年(昭和14年)2月9日 - 2012年(平成24年)9月10日)は、日本の建設官僚、政治家。
建設省河川局砂防部部長、衆議院議員(5期)、衆議院内閣委員長、内閣府特命担当大臣(金融担当)、国民新党副代表・鹿児島県支部代表などを歴任した。
突然の自殺
2012年(平成24年)9月10日17時前、東京都江東区東雲の1人暮らしの自宅マンションで倒れているのが、妻と秘書官、警視庁警備部の警護担当者により発見された。
18時前、港区の虎の門病院へ緊急搬送されたが、死亡が確認された。
死亡当日の午後に金融庁で予定されていた会議に本人が「行けなくなった」として出席していなかった。
現場の状況から警視庁東京湾岸警察署は首を吊って自殺を図ったとみて捜査を開始し、その後の捜査で松下の自室に内閣総理大臣:野田佳彦と内閣官房長官:藤村修、そして夫人に当てた遺書がそれぞれ見つかったことから警視庁は死因を自殺と正式に断定した。
松下急逝の報せを受け、総理の野田は首相官邸でのインタビューに「とても驚いている。言葉も見つからない。心からご冥福をお祈りいたします。」と答え、19時37分に虎の門病院に弔問に訪れた。所属する国民新党の自見庄三郎代表は、「前立腺の病気があったが完治し、ことし6月に閣僚になるときには、『もう大丈夫だ』ということだった。」「地味だが真面目にこつこつ仕事をし、私も誇りに思っていた。」と述べた。
また、松下の遺体と面会した亀井静香元国民新党代表は「ことしの春、松下氏は、癌で病院に入院していたことがあり、お見舞いに行ったことがある。亡くなられた詳しい状況や死因は分からないが、お悔やみ申し上げたい。」と述べた。
なお、松下が亡くなったことにともない、財務大臣の安住淳が内閣府特命担当大臣(金融担当)事務代理を務めることとなった。
なお、松下が自殺した日の3日後に発売(9月20日号・一部地域ではすでに発売済)される週刊新潮の『73歳「松下忠洋」金融担当大臣 痴情果てなき電話と閨房』と題された記事で、松下前大臣の女性問題をスクープした記事が掲載されていて、因果関係を指摘する声もある。
~以上、Wikipediaより引用
これで、こちらの「暴露」に対する一方的な報復であることがはっきりしました。
もちろん、こちらの行動との因果関係は全くありません。
もし私が原因なら、私が死んだらこの種の事件は二度と起こらないことになるのです。
もちろん、そんなことはありません。
こんなことは、私が生まれ、物心つくまえから延々と起こっていることです。
つまり、「原因」は他にあるということです。
全ては「原因」たる犯人の、勝手な言いがかりによる一方的な暴挙です。
私は暴露はしましたが、人を殺してはいません。
彼らの言い分に従うなら、暴露の見返りは暴露ということになりますが、それでは「死」の見返りは何でしょう?
「手を引いた」だけで許されるような、軽い罪とは思えませんが。
もしかして、「ボタン」を押しても、何の制約も無い方々が存在するということですか?w
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