https://news.yahoo.co.jp/expert/articles/b550b45515eef9881df618cfac2e76afc7650c4d
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「勝って勝因を探し、負けて敗因を探す」は一番やってはいけないこと。
なぜなら、初めから勝因を探す目で見ると、ただの偶然や失敗まで勝因にしてしまうから。
信玄公の思想には良い面も悪い面もあった。それはいかにも。
しかし彼が天下人となれなかった最大の原因は地勢にある。
そもそも今の我々は、信長が畿内を席巻して天下取りの礎を築いたことを知ってるから、他の戦国大名を「なぜもっと早く手を打たなかったのか」と気安く批判できる。
しかし当時の諸大名にとって近畿は鬼門。
確かに当時の近畿は日本の中心地、平定できれば実りは大きいだろうが、摂津和泉を押さえる三好氏、ほか細川氏や六角氏など将軍家や朝廷にも影響力がある有力大名が名を連ね、比叡山延暦寺や本願寺の一向一揆勢力、紀州惣国の雑賀衆など厄介ごとのるつぼ。下手に手を出せばかえって自らの命取りになりかねない危険地帯でもあった。
ここの平定ができるかどうかがそもそも天下人の登竜門だったのであり、理由が大名当人の器量だろうが国力や地勢だろうが、遅れを取った以上は天下人たる資格はないと言える。
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