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加会社×被会社

窮鼠猫を噛む

無題





1908年の五輪での綱引き競技を巡る米英対立の故事。
個人的な考えとしては、五輪には「勝利」にも「参加」にも意義がある。

「勝利」は言うまでもない。人は生来、他者との競争において勝利しようという意欲が本能レベルで備わっている。これを否定してしまえば、アスリートは長い時間をかけて理想を追求する動機を失ってしまう。

問題は「参加」の方。参加の意義とは、思われているように「参加するだけで満足すべき」という意味ではなく、ルールを守らなければ参加は許されないし参加と認められない(※)、つまりルール順守を意味する。

では、この1908年の故事にまつわる逸話は誤りだったかというと、実はそうでもない。

「勝利」の方は本能に根差した直接的な欲求だが、「参加(ルールと秩序)」の方はしばしば論理であり理性なので、何もせず放置すれば参加者は勝利ばかりを追求するようになり、「競技」は単なる「競争」になってしまう。

だから、その場を収める方便としてだけでなく、理念としても用いられるようになったんだと思う。

真実としては冒頭述べたように、勝利と参加の双方に意義があり、1908年の故事において英国代表はルール違反を犯していない。なぜなら、ルールの禁則の中に「靴にスパイクを仕込んではいけない」という項目はなかったはずだから。

この問題は、ルールというものの位置づけの曖昧さに原因がある。

ルールには規範と禁則の二種類がある。規範は「こうするべき」という理念を示すのに対し、「禁則」は「~してはいけない」という禁止項目を示している。

ただごく稀に、このどちらにも該当しない新しい概念が勝利に影響する場合がある。これが1908年の故事の場合だ。ルールが決められた時点では「靴にスパイクを仕込む」という概念は検討項目になかったはず。だから、この時点ではスパイクの使用が許容されるべきか否か検討さえされていないことになる。

個人的には、この場合、大会主催者はスパイクを利用して勝利した側の判定を保留し、協議に諮るべきだと思う。なぜなら、スパイクはその後正式な運動用具として広く受け入れられたから。スパイクというアイデアはスポーツ振興に一役買ったわけだ。

協議で認められなければ失格、認められれば率直に評価すべきで、この場合は従来ルールに拠り非使用者の中からも勝者を選んで同時に褒賞するのが筋だろう。

これでもトーナメントの場合は下位チームに不満が生じるだろうが、このことも含めて予めルールに規定しておけば問題ない。なんにせよ、その時点でルールになく周知されてなかった基準で一方的に裁くことが問題なんだから。





(※)
参加者がルールを破っていた場合、解釈としては「競技の非参加者が競技者に混じって勝手に競技を行った」となる。


























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