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加会社×被会社

窮鼠猫を噛む

無題





「善意」は裁量ですから、ルールにはできません。
ルールにできない以上、システムとしては機能しない。
つまり、不特定の人の「善意」で賄われている部分は、社会構造としては何もケアされてないも同然なんです。

こういう間隙に落ち込んで窮地に立たされてる人は、言ってみれば社会が見捨てた人たち。
そういう人たちを個人の責任において救済することは、果たして「善意」と言えるのかどうか、考えてみる余地があります。

例えば、野生動物は生きるのに必死です。
必死に生きて、競争に敗れた個体が容赦なく脱落していく。
この淘汰があるお陰で、その野生動物は種としての質をキープできるようにできている。

しかし人間は、「善意」という概念によってこの淘汰を否定しようとしている。
この行いは、目先の個人的な行為としては「善行」かもしれませんが、一方で、淘汰を否定することによって人間の種としての質を低下させていると解釈することもできます。

おちろん、何から何まで多数決でいいとは言いません。
ただ、自分の行いが間違っているのか、それとも他に何か原因があるのかは、よく考えてみる必要はありそうです。

















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