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加会社×被会社

窮鼠猫を噛む

無題

https://news.yahoo.co.jp/articles/85736241283d1fff2c93ae2eb3ba56cb67351367




それは全くその通りなんですが。

それがその通りに実行される世の中なら何も問題などありゃしないのですが。

「それはどうにもならない」

の一言で片づける中に核心的な原因があるのでは?



「暴力でなければ~」の真意は、「数」だと思います。

例えば、自分名義の土地に一軒家があって、それなりに安定した職に就き、日々の食にも困らない。月末には家族でレジャーに出かけ、年に二~三回は泊りで旅行にも出かける。

言うまでもなく、そんな中流生活は、自給自足の生活を基準に考えればずっとずっとプラスなわけです。自給自足からプラスということは、他でマイナスが出なければ帳尻が合いません。ですから、誰かの幸せは、それよりずっと多い不幸が支えてることになります。

そう考えるなら、誰もが幸せになることはできない道理では?

俺は、幸せになる者は、相応の価値がある者が選ばれるべきだと思います。真の適者生存とは、単純な生存競争ではなく、人間社会全体にとっての利害も含めた適性で相対的に量られるべきだと考えます。

そして可能ならば、それは裁量ではなく公正な基準・ルールによって実現されるべきでしょう。

暴力を手段として使えば、それは実現しません。必要を「悪」と定義することはできないからです。一方で、暴力さえ使わなければみんな幸せになれるのかと言えばそうでもない。

非暴力によって、幸せになれる人が最も多くなる

が正解でしょう。

ご説のように、波だった水面に再び静寂が戻るには時間がかかります。その中では、一時的に不幸に見舞われる人もいるでしょうし、中には耐えかねる人が出ることも無理からぬことです。

しかし、それを乗り越えてこその平穏ではないかと。













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