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人間は自力で空を飛びません。なぜなら飛べないからであって、決して飛びたくないわけではありません。このように、「したいかどうか」以前に「できるかどうか」の問題が常にあるのです。
俺は、侵攻は回避できたと思ってます。少なくともオレンジ革命のような急進的な形ではなく、もっと穏やかで長期的な計画で国を変えていく選択はありました。だが、多くのウクライナ人にとって、「服従か自由か」というフレーズはあまりに分かりやすかった。一方で、もし戦争になった場合の犠牲がどれほどになるか、客観的な分析はなかった。
そして結果がこれです。
実は太平洋戦争の折、当時の軍上層部のかなり多数が、仮に米国と戦争になれば太刀打ちできないであろうことは分かっていたと言います。にもかかわらず、その見通しが国民に周知されることはなかった。それが分かっていれば、国民の中にも反戦機運の一つも起こっていたでしょうが。
一たび戦ってしまった以上、もう後戻りはできません。もはや相手を許せないのはウクライナだけではありません。ここで挫ければ、ロシアはいよいよ勢い付いて圧力を強め、ウクライナはみすみす譲歩するだけに終わるでしょう。もう、戦ってロシアの戦意を挫く以外の道はないのです。平和的解決の可能性は、みすみす自ら摘み取ってしまったんですから。
戦う選択をした人たちは、腹くくった方がいいですよ。
この分だと犠牲者の総数は10万人を超える規模でしょう。しかもこれは、地震や津波のような自然災害でもなければ、新型コロナのような疫病のためでもない、「戦争」という人災が原因なのです。
まるっきり島津歳久の故事をなぞる羽目になってますが、その通りなんだから仕方がない。
それから、
いくら説明しても理解する気がないようなので、これ以上は説明も助言もしません。
今後は事後の分析に専念しようと思います。
アフガニスタンだって、もっとアメリカに近ければあんなことにはならなかったんですけどね。
地勢に「 If 」はない。
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