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加会社×被会社

窮鼠猫を噛む

無題

https://news.yahoo.co.jp/articles/5072c1916e8b80b40703599fe58992e6119b2d3c
DaiGo氏発言に対する生活困窮者支援4団体の緊急声明 ─ スポニチSuponichi Annex



>DaiGo氏が猫を大切に思う気持ちは尊重されるべきとしても、猫と生活保護利用者やホームレスの人の命を比べて、後者について「どうでもいい」と貶めることは、明らかに一人一人のかけがえのない命を冒とくするものです。

こういうとこなんですよ。

「DaiGo氏が猫を大切に思う気持ちは尊重されるべき」


「生活保護利用者やホームレスの人の命を「どうでもいい」と貶めない」

は、常に両立しませんよね?

「助ける相手をどちらか一方選ぶとしたら」と本人も言ってます。
設問の前提を崩してしまえば、それはもう反論になりません。



>犯罪者が社会の中にいるのは問題だしみんなに害があるでしょ、だから殺すんですよ。

これはDaiGo氏の勘違いです。

犯罪者を社会が許容できないことへの対策は「制裁を課し、更生を促す」ですよね。
これが叶わない場合に限って「極刑」、つまり死刑があるわけです。



>生存権を保障するために、権利としての生活保護制度がある

「生存権」って何でしょう?
生存する権利ですか?
生存権の前に、まず「権利」の定義を調べてみてください。

権利とは「行使できる権限、享受できる利益」のこと、もっと言えば「過程」の話であって「結果」について示されるものではありません。
「行使しなきゃいけないもの」ではありませんし、「享受しなきゃいけないもの」でもありません。

最低限の選択肢を得るためには生活保護が必要な人も確かにいるでしょう。
では「最低限の選択肢を得る」とは、どういうことでしょうか。
それは、義務教育課程を修了し、充分なモラトリアム期間を与えられることです。

これを猶予として、天寿を全うするまで生き続ける形を作るか、それとも投げ出して生存権を放棄するかを選択するわけです。
つまり、「生存権の保証」とは、この「猶予」「機会」を保証することなのであって、「生きるための努力を放棄しても尚、未練がましく生かされ続ける」という意味ではありません。

「猶予」や「機会」を得るために必要とする人が生活保護の対象者なのであって、これを十分与えたにもかかわらず努力を怠る、あるいはそもそも該当しない人の生活を社会が保証してやる筋合いではありません。
不正受給者の問題もそうですし、今は該当している中にも、実は受給するに値しない人がかなり含まれているはずです。

>すべての人の命は等しく尊重されるべきであるという近代社会の前提を

俺は、「人の価値には差がある」と言ったんですよ?
これに対する反論ならば、自動的に「人の価値には差はない」、つまり「全ての人は絶対的に等価値である」という意味になります。


言ってないことに反論されても答えようがありません。
反論しやすく歪曲しないでくださいね。

それにしても、もうすり替えましたか。
予想外に早かったですね。















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