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タレントたちも黙ってはいられない・・・、の記事 ─ 毎日新聞
×「戦争に反対する = 法案に反対する」
○「戦争に反対する ≠ 法案に反対する」
ニュースの責任ばかりかはともかく、これこそが、まさにお笑いタレントの某氏が指摘する「誘導」
にあたる。
日本でもかつて、民間の警備会社が警備する現金輸送車が、武装している(と思われる)強盗に
相次いで襲われたことがあるのを覚えておられる方も多いだろう。
もし、この警備員が、拳銃などで武装していたら、いかに武装強盗とはいえ簡単に手出しは
できなかっただろう。
例え悪事であっても、得られる利益よりコストの方がかさめば危険を犯す価値が無くなるわけで、
これがつまりは「抑止力」だ。
一般論として、「戦争に反対する」とは、「他国に対して戦争を仕掛けることに反対する」ことを
意味する。
実際に敵が攻めてきた時に、反撃に反対する人はあまりいないだろう。
しかし現実問題、攻撃と反撃の境界は、価値観の数だけ異なるわけで、これを言葉で定義して
普遍的な線引きをすることは難しい。
結局は、大まかな方針に従いつつ、その都度判断するしかないのが現実だ。
我が国は、憲法9条によって戦争行為を厳しく制限されている。
従って、新三要件は目安ではあるものの、あくまで本質は憲法9条、つまり自衛隊は、
どうしても不可避な緊張/紛争状態でしか戦闘できない
ということになる。
PKO関連など、国際貢献の場では守るべき対象が異なってくる場合もあって、その全ての
行動を自衛隊がカバーできるとは言い難いが、自国の防衛という局面ではこの原則が
最優先されることに変わりはないはず。
従って、最終的な争点は、法案がこれを否定しているのか、それとも肯定しているのか、
という点に絞られる。
ここまで説明すれば、法案が決して「戦争」を肯定しているものでないことくらいは理解できるはず。
憲法9条を変えずに必要なことができるのなら、憲法を変える必要はなくなる。
しかし、「できない」となれば話は別だ。
実際に闘っていなくても、武力での優劣は外交での優劣に直結する。
外交で失敗すれば、国内事情にしわ寄せが回ってくることにもなる。
一方で、休日を楽しむカネを稼ぐことに必死になる余り、休日まで仕事に費やしてしまっては
本末転倒とも言える。
我が国はあくまで、憲法が謳う平和と安寧の実現を目的としていることが大前提だ。
要は、これらの観点から、我が国の立ち位置をどこに求めるかの問題なのだ。
年々不利になり、貧しくなっていくことを承知の上で、それでも旧来の法制に頑なにこだわり
続けるか。
それとも、最低でも現状を維持できるよう、憲法が許す限りの手を尽くすか。
少子高齢化も、国際情勢の変化も、日本の都合に合わせてはくれない。
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