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科学は「実証主義」。
理論の精度を高めるために「査読」というプロセスを使う。「査読」とは言うまでもなく、不特定多数の同業者に論文やレポートなどを読ませて、疑義があれば批判させるというものだ。つまり、精度を高めるのに同業他「者」の手を使うことになる。
このプロセスには、精度を高める以外にも、放置すれば互いの不利になる妬み嫉みといった負の感情を、管理された状態で吐き出させる意図もあるだろう。ということは、査読による精度向上は、良くも悪くももっぱら「否定させない」方向に向かうことになる。要は、純粋な正否ではないのだ。
俺はインスピレーションを伸ばしてるの。
今さら隠す必要もないので教えてやろう。
インスピレーションを伸ばすためには「正確な理解」が必要だ。正確性を期すためには、熟知して要点を把握するだけではなく、その「要点」が機能することを己で確かめる必要がある。「要点」としてまとめたものが機能して、初めてインスピレーションの糧になったと言えるのだ。
俺にとって、この過程が努力であると同時に、これは一種の「天然」でもある。物心ついた時から、俺は物事をこういう目で見てきた。理解が遅いと言われたこともあったが、何のことはない、要点を把握するという普通より一段階上までやって得心しないと、分かった気になるだけでは気が済まないのだ。俺にとっては、ここまでやって初めて「理解した」と言える。
「否定できない」を目指す訳ではないので、主張としては隙が多い。だが、その隙はもっぱら「客観的に証明できない」であって「誤り」ではない。正否については帰納的に修正されているためだ。何より、普通は否定させないために使われるはずの労力を、全て進歩のために費やすことができる。
君らはそのインスピレーションを手に入れることができない。
これから失うからだ。